あなたにとって、本当の幸せに気づいた時、奇跡が起こります。

    愛豊かな皆様

    いつも、ありがとうございます。

    始めましての方も、ご縁をありがとうございます。

    守護天使たちと共に、千瑛美の体験も交えながら、

    皆様へシェアさせていただいております👼💗✨

    • ツインレイ・魂のパートナーと出会い、より純粋な愛を育みたい方
    • スピリチュアルな視点を取り入れながら、より幸せに生きていらっしゃる方
    • ヒーリングにご興味のある方
    • 自身の繊細さに愛を感じて、生きていきたい方

    このような方たちにとって、癒しのエッセンスとなりましたら幸いです。

    それでは、今回の内容をお楽しみくださいませ。

    *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

    この世にたったひとりの運命のパートナーがいると思うと、

    あなたはどのような気持ちがするでしょう。

    恋焦がれてやまない気持ち、

    ずっと探し求めているもの、真実の愛を探し求める気持ち

    どんな幸せや困難もともに乗り越え、分かち合い理解しあえる頼もしさ

    何があっても大丈夫と、何の根拠もなく、安心する気持ち

    闇も光も、生きている素晴らしさを最も感動的に味わえる希望に満ちた期待感

    この世界にあなたと私だけ。それだけで大丈夫。と感じられる信頼感

    運命のパートナーというと、様々な感情があるかもしれません。

    私は幼少期、物心ついた時からこのような憧れと、

    「心から一点の曇りなく、大好きと感じる人とだけ結ばれたい。」

    そのように思って、その思いには何の迷いもなく、

    根拠もなく自信を持っていたことを思い出します。

    なぜかはわかりませんが、どこかで私は運命の人と出会うんだ。

    大好きな気持ちを思い切り表現して、

    相手への愛と自分への愛を両方同時に、100%惜しみなく、

    愛を与え受け取り、表現したい。

    そのような、感覚を物心ついた時に、感じていたことを覚えています。

    とても不思議な感覚なのですが、その時すでに、

    「相手の魂と自分の魂がそれぞれに、一点の曇りなく自分を愛していないことには、

    一点の曇りなく相手に愛を表現し受け取っていただくことは不可能。」

    ということを、すでに経験し、記憶しているような感覚があるのでした。

    その時の感覚が、この世にたったひとり存在すると言われる

    魂の片割れさん・ツインレイに出会うための、大事な大事な、

    魂からの呼びかけであったと感じます。

    私がまだ小さかった時、

    「大きくなったら、誰のお嫁さんになるの?」

    「お父さんのお嫁さんになる。」

    という親子の会話が流行っていたような記憶があります。

    私は、心の中では

    「私が本当に愛している運命の人と、魂の結婚するんだ。」と思っていたのですが、

    幼児の私にそのような深い決意を言われても

    きっと父は理解に苦しむであろうし

    期待はずれで悲しむのではないかと思い、

    お父さんに安心してもらいたくて、

    「大きくなったら、お父さんと結婚したい。」

    と、本心とは違うことを言ったことをよく覚えています。

    そんな私は、本当に大好きな人とだけ結ばれるということを、

    人一倍大事に大きくなってきたように感じます。

    けれども、理想が高い分これといっていい出会いもなく、

    恋愛というほどの体験をすることなく、大人になったのでした。

    むしろ、小学生に上がってからの父の暴言暴力や、

    両親の毎日の怒鳴りあいなど、安心とは程遠く感じる暮らしの中で、

    男性の潜在意識にある闇の部分、夫婦や家系の闇の部分を

    嫌というほど味わったなあと感じます。

    そのこともあり、小学生の高学年になるころには、

    男性への苦手意識が強くなっていたように感じます。

    中学生になれば、「彼氏とデートにいった。」など、

    恋愛に夢中になる女子たちがある中、

    相談に乗って友人の背中を押すのはとても幸せで、

    私も恋愛してみたいな。そんな憧れをもつようになったものの

    男性には、表に見えていない闇の部分があるという確信と恐れがあり、

    誰かを好きになるほどかかわりもないまま、大人になっていきました。

    そんな私がなぜ、どのようにして、魂の片割れさんに出会ってしまったのでしょうか。

    それは魂の呼びかけで、

    私の全てを癒し、闇と光の両方を愛していくためだったかもしれません。

    一点の曇りなく自分を愛し、一点の曇りなく自分を幸せにする

    と決めて生きてきたからかもしれません。

    結果的に見れば、

    私は虐待を受けても、いわゆるヤンキーさんになることなく、

    傷のはけ口として誰かにいじめや暴力をふるうこともなく、

    多くの涙を流すことはあっても、ただいつも、魂の声を聴き続けて

    涙の後に、一筋の光を見いだせると信じて、正直に正直に、

    自分への純粋さを体現するように生きてきたからかもしれません。

    父が母にしたDVを、恨むことを選ぶのではなく、適切に距離を取り、

    関わるみんなに癒しが起るようにと願い、

    自分を癒すことに集中してきたからかもしれません。

    唯一心を許していた母が亡くなっても、何かのせいにするのではなく、

    病気にならずに生きて死にいきたいと決めて、

    母の死に感謝さえできるようにと、泣きながら前を見て歩んできたからかもしれません。

    誰にも心の闇があると思いますが、両親のどんな闇の部分を見ても、

    社会にどんな深い闇を感じても、

    私にどのような不幸と感じることが起きても、

    何かのせいにするのではなく、

    常に自分の純粋な目で、光に変えて、

    今自分にできることに集中してきたからかもしれません。

    もちろんそれは、親戚の方を始め、当時は今ほど気づくことのできなかった

    周囲の方の多大なる支えがあってこそでしたが

    人生の困難に思える時こそ、魂の声に耳を傾けて、

    不器用に馬鹿正直に生きてきたからこそかもしれません。

    最も私が独りで、自分の内側と向き合ったのが、

    母が亡くなってからの大学生として過ごした4年間でした。

    生きることと死ぬことへ、自分なりに向き合い、深い気づきがあったからこそ、

    私は何とか悲しみの中から光を見出して、次のステージに行けたと思います。

    けれども、やっと暗闇から出てきた先に、やっと就職した先に、

    大きな挫折をしたのでした。

    それは、私が最も恐れていた自立するということでした。

    高校生の時から会社勤めは合わないだろうと感じる反面、

    自分の才能や能力、資質はまったく理解していませんでした。

    ただただ、努力して合格を勝ち取った管理栄養士として、

    なんとかご縁のあった高齢者向け福祉施設の厨房でしたが、

    今思えば私の魂が求める世界とは真逆の世界で、

    私は3か月で心身ともに消耗し、通勤できない事態になってしまったのでした。

    当時の私の感覚で言えば、いわゆるニートにならざるをえなかったのでした。

    自立したいのにできないのは、当時まだ、父から受けた虐待の傷や、

    母が亡くなった悲しみや、他者と関わるということへの自信のなさや恐れなど、

    他人に自分を表現しづらいと感じる生きづらさがあったからでした。

    自分に癒しが必要であることを心底感じながら、

    社会人になるべき時に、それができない自分を受け入れるまでに

    多くの時間を要しました。

    当時、絶対なりたくないニートでありながら、

    私は他人と関わることが怖くて、働くということをイメージできなくなっていたのでした。

    癒しを必要としながらも、自分を責め続ける毎日でした。

    試行錯誤をして、自分に何が足りないのか

    どうしたら社会に適応できるのか

    そのようなことばかり悩んでいました。

    時には、やっと見つけた心理カウンセラーさんを訪ねて虐待のことを相談したり

    自己啓発本をよみあさったり

    何かしていないと不安なのに、なにもしたくない

    生きてることが許せない

    自分との葛藤、生きづらさへの悲しみ

    当時は、誰かにこのような自分を知られたくなくて

    けれども、藁にも縋る思いであったことを覚えています。

    そのような中、人生初めての職場を退職して、約3か月がたとうとしていました。

    自信はないものの、やっと、自分がニートであることを受け入れて

    しばらく今の自分とつきあっていこうかと、

    どうやらそうするほかないし、

    きっとその先にまた、何か光が差すような気づきが起るに違いない

    私はどうやら生きていてもいいのかもしれない

    そのように感じ始めていたときでした。

    唯一の助けを差し伸べて下さった祖母が、

    ある小さな、歌のサークルにお誘いいただいた。というのを聞き

    大学では合唱が大好きであった私は、

    「時間ならあるから、ぜひ会場まで送ります。」

    と、祖母とともに会場に赴いたのでした。

    そこはどんな会場かと申しますと

    古くて大きな民家でした。

    古民家で歌?

    驚いた私は、中がどんな風なのか気になって、祖母とともに中に入らせていただいたのでした。

    そうしますと、そこには、当初聞いていた、おじい様おばあ様の歌の集まり

    とは真逆、小学生たちがわんさか、ざっと数えて20人くらいの子どもたちが

    わいわい自由に遊んでいるのでした。

    これはどうしたことかと、ますます気になった私は

    出迎えて下さったオーナー様らしき方のお話を、わくわくと聞かせていただいたのでした。

    どうやらそこは、不登校やそのた生きづらさを抱える子どもたちの居場所として

    また、歌のサークルやそのた大人の集まりのスペースとして

    大人も子どもも、皆の居場所であるようにと

    活動していらっしゃる一風変わった家だったのでした。

    そのお話が、なにやら気になってしょうがない私は、

    実は私も今、生きづらさを抱えていること、

    そもそも栄養士として生きていきたいのかすらも迷っていると、打ち明けていました。

    当時の私は、藁にも縋る想いで、ただただ、直感の赴くままに、

    惹かれるものに惹かれて行動していたなぁと感じます。

    すると、どうでしょうか。

    ちょうどその家では、夏休みの子どもたちのお昼ごはんや、

    利用する集まりでいらっしゃる方へランチを提供していらっしゃり、

    ボランティアさんを募集しているということでした。

    栄養士である私の良き練習になるのではと、お誘いくださったのでした。

    毎日、家で悩んでばかりいた私、これは新たな一歩を踏み出したい。

    と直感し、一つ返事に、

    「私でお役に立てるのでしたらぜひ、手伝わせてください。」

    と、その日のうちに次の活動を決めてしまったのでした。

    私は、ただとても興味がわいたということと、

    今の私が受け入れてもらえるというありがたさと希望を感じ、

    直感するまま流れに乗っていたのでした。

    今思えば、それこそが、この世にたった一人存在する、

    魂の片割れさんとの出会いの予兆でした。

    なぜなら、そのボランティア活動で最も経験あるメンバーさんが、

    私の魂の片割れさんだったのでした。

    当時を振り返ってみると、本当に大好きな人と結ばれたいという幼少期からの願いや

    人生を楽しむことをすっかり忘れて、

    どうしたら私は生きていくことができるのか

    この社会のなかで、どこかに私の居場所があるのかしら

    でも、なんとかして幸せに生きていきたい。

    そのように感じていた気がいたします。

    大きな世界に一人やっと飛び出したところで壁にぶつかって

    地上に落とされた小鳥のようだった私は、安全な居場所を求めていました。

    自分の生きづらさと向き合い、色んな人と関わる中で自分を知ることの必要性、

    自分の人生を振り返って自分を癒すことの必要性を感じていました。

    このボランティア活動は、

    大人も子どももみんなの居場所であるように活動し、

    社会や哲学や学び、遊び、自然にフォーカスしていたその場所は、

    当時の私にとって、これ以上ないほど、とても魅力的に映ったのでした。

    まさに、自分の人生に、丸裸で飛び込んでいった小鳥のようかもしれません。

    弱弱しい私のままで、

    赤ちゃんのように純真無垢な繊細な私のままで

    ダメダメな私のままで

    このボランティア活動を始めていったのでした。

    それは、社会的には、大人の方々にしたら、私はあまりに無防備で

    どう助けていいかもわからないほどであったと感じます。

    初めてのことばかりで、ほんの小さなことにも傷ついてしまう私を

    周りの人は、わからないなりに、優しく助けて下さったのでした。

    その中でも、たったひとり、私の繊細さを100%知っているかのように、

    繊細な心配りをしていらっしゃるかたがいました。

    私は何故かとても安心して、活動に打ち込むことができるのでした。

    それが、私の魂の片割れさんでした。

    当時の私は、魂の片割れという概念を知らないことはもちろん、

    スピリチュアルな知識に、あまり興味がありませんでした。

    現実社会で生きる練習のために、その活動に飛び込んだのですから。

    けれども、今思えばそれは、

    「本当の自分に戻ってください。」そのような魂の呼びかけであったように感じます。

    朝起きて、ご飯を食べて、お掃除をして、お昼ご飯の準備をして

    午後からは、お菓子を焼いて袋詰めをして、

    また朝からパンを焼いた日は、その後パンを配達して

    夕方になったら晩ご飯を食べて、夜は仲間同士や自分の好きなことをしたり

    そのような日常のサイクルが、生活そのものが、その場所の主な活動でした。

    オーガニックの食材にこだわり、手作りにこだわり、

    楽しく作ったお料理やお菓子を、皆で分かち合う

    そんな日常の中に、たくさんの豊かさがあふれていることに気づいていったのでした。

    そんな中で、私は彼と二人でお出かけをすることになりました。

    それは、食材などの買い出しに行くことでした。

    2人でいると、何の変哲もないことをしていても、

    まるで本当に全てが癒されて

    まるですべてが大丈夫で安心で

    そこに終わりはなく、無限に広がる幸せの世界

    という感覚がするのでした。

    ただここにいるだけで、他に何も必要なものはなく

    ただここにいるだけで、幸せ。

    そんな感覚がするのでした。

    それは私にとって、とても新鮮で、わくわくして、楽しくて、

    出会って間もない関係なのに、もうずっと昔から一緒にいたような感覚さえするのでした。

    一緒にいるときは、濃密でありながら、あっという間に時間が過ぎていくのでした。

    魂の片割れさん・ツインレイに出会うとき、それはどのような時なのでしょうか。

    それは、

    ある一定の段階まで魂が成長したときに、相手に気づくということのようです。

    私のように、初めて出会ったその日に、

    言葉にならない不思議な感覚になるかたもいらっしゃるかもしれませんが、

    それはかなりまれなケースかもしれません。

    長年たまに連絡を取り合うだけの友人が、ある日突然、この人が…

    以前は相手の存在にすら気づかなかったけれど、ワークショップのメンバーさんがなぜか気になる…

    そんな風に気づいて、世界が一変したという場合もあるようです。

    私の場合も、世界が一変しました。

    そして、出会ってしまうと世界が一変するの繰り返しであるように感じます。

    常に自分の常識や概念を新しく変えていく

    常に新しい自分に生まれ変わっていく

    そうしないことには、宇宙が許してくださらない。

    それほどダイレクトに宇宙と繋がって生きる

    流れにのっていく感覚がいたします。

    それが、本来の魂の輝きを取り戻す過程そのものであると感じます。

    最も大切なことは、

    「本当に大好きな人と結ばれたい。」

    その願いを一点の曇りなく意図して

    「一点の曇りなく、自分を愛して幸せにする。」と決めて生きていくこと。

    出会ったら絶対に気づける。そう決めていることも大切です。

    このシンプルな在り方を体現しようとすることが、

    ツインレイの2人が出会うきっかけかもしれません。

    過去のこちらの投稿も、何か参考になりましたら幸いです。

    自分を愛すると、あなたを愛してくださる方と出会います。

    ツインレイと出会った時の、とても不思議な感覚をお話します。

    最後までお読みいただき、ありがとうございます。

    あなたに沢山の愛と光、たくさんの幸せが訪れますように。

    ♡スピリチュアルの記事はこちら♡

    ♡ヒーリングの記事はこちら♡

    ♡ツインレイ・魂のパートナーに関する記事はこちら♡