世の中には、数え切れないほどたくさんの、癒しの手段や方法がございます。
あなたは普段、どのような癒しの方法を選んでいらっしゃりますか。
それは、どのような方法や手段でも構いません。
あなたがいつも、それをするとなぜか、ほっと心が休まる感覚のすることがございますでしょうか。
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例えば、多くの方に共感を得やすい癒しの手段のひとつは、コーヒーかもしれません。
コーヒーを例にお話させていただきますと、
世の中には、本当に数多くの、コーヒー豆の生産者がいらっしゃります。
世界地図を広げてみると、その多くはアフリカや南アメリカ、インド、マレーシア半島など、主に、暖かい気候の国や地域で生産されていることが多いようです。
ご存じの方も多くいらっしゃるかもしれませんが、
コーヒーは想像以上に、古く長い歴史をたどって、今の私たちの生活に根付いています。
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私が、喫茶店に勤めているからこそよりそう感じるのかもしれませんが、
コーヒーは、日々の生活に無くてはならないと表現してもよいほど
身近な飲み物として、多くの方々に楽しまれているようです。
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それは、なぜでしょうか。
それは、コーヒーには、癒しのエネルギーが組み込まれているからです。
いったいどのような、「癒しのエネルギー」なのでしょうか。
それは、コーヒー豆をひとつの人生ととらえててみると、よくわかるかもしれません。
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コーヒー豆は、どのような環境で育つのでしょうか。
暖かい気候の地域の中でも、とりわけ標高が高く、空気が綺麗で、寒暖差の少ない環境で育つことが多いようです。
様々な植物や虫さん達とともに、たくさんの心地よい太陽の光を浴びて、
ときには雨に降られ、風に吹かれながら、最後には、真っ赤な美しいチェリーの実をつけます。
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その真っ赤なチェリーは、今度は人の手や機械によって摘みとられ、
赤い実の部分をそぎ落とし、中にある、硬い実の部分だけが残されます。
その硬い実は、今度は、クルミを割るように、人の手や機械で砕かれて、更に中の実だけが残されます。
これが、コーヒー豆です。
その実は外や機械で乾燥させて、白いコーヒー豆となり、バイヤー様へと渡ります。
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ところがまれに、できの悪いコーヒー豆が見つかります。
虫食い跡があったり、はじめから腐っていたものなどです。
これらは、欠点豆と呼ばれます。
これらをひとつひとつ取り除くのは、とても困難に思えることでしょう。
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実際、これらはひとつひとつ取り除かれることはなく、
欠点豆の割合を計算することで、その豆の品種のグレードを評価・決定する手段がとられているようです。
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欠点豆の割合が多いほど、コーヒーを淹れた際に、雑味やえぐみといった、
人間にとって不快と感じる味や香りが強くなると言われています。
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欠点豆の割合が少ないほど、グレードが高く値段も高価であることが多いようですが、
グレードが高く値段が高価だからと言って、そのコーヒーの味が、それを飲む人にぴったり好みの味とは限らない点が、コーヒーの面白い部分のひとつです。
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では、私たち人間の場合はどうでしょうか。
この世界には、想像に及ばないほど、多くの人がいらっしゃいます。
それは、何億、何兆と人口を聞いたところで、実感のわかない人が殆どかもしれません。
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私たちは、一生をかけてどれほど多くの人と、出会うことができるでしょうか。
人の命は、長くても今のところ100歳を超える程度かもしれません。
さすがに、200歳や300歳という方は、聞いたことも出会ったこともございません。
はるか昔、地球の波動が5次元にまで達したと言われるレムリア時代には、
そうした年齢は普通(むしろ若い年齢)であったようですが、
2023年の地球では、そこまでには達していないようです。
せいぜい、3.5次元と表現されることが多いようです。
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少し話がそれてしまいましたが、
私たち人間が一生のうちに出会える人の数というのは、限られています。
つまり、人とのご縁は、自分の意思・行動だけで、コントロールできる範囲を超えたもの
ということです。
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自分が生まれるタイミングや死ぬタイミングを、
自分の意思・行動でコントロールできないのと同じこと。
とイメージされると、わかりやすいかもしれません。
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それは、
「目には見えないけれど、人知を超えた何か大きなものの意図が、はたらいているとしか思えないような領域」
と表現しても良いかもしれません。
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だからこそ、人とのご縁は全てが、
あなたを本当の幸せに導くために運ばれてきたご縁ととらえることができます。
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例え、出会った相手の人が、どんな言葉や行動をあなたにとったとしても、
そのことがきっかけで、あなたが悲しんだり苦しんだりする体験をされることになったとしても、同じです。
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人生で出会うすべての人が、あなたの「運命の人」と捉えることができます。
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もし仮に、あなたの愛するパートナーが、
あなたが傷つくような行動をしてくださったとします。
あなたは、そのことにとても傷つき、悲しみ、途方に暮れていたとします。
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「なぜ、こんなにも私を悲しめ苦しめる人と出会ってしまったの?」
「なぜ、あの人は、私の思うとおりの行動をしてくださらないの?」
「私が、こんなにも、悲しみ苦しい思いでいるのに、
あの人といったら、全く何も感じていないのかしら?」
普段は、心優しいあなたであったとしても、
こと、愛するパートナー相手となると、このように意気消沈し、
暗い雰囲気になることが、あるかもしれません。
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それもそのはずです。
あなたと、あなたの愛する方は、互いに「鏡」だからです。
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つまり、事実はこうです。
あなたが、愛するパートナーに悲しみ苦しめられているのではありません。
愛するパートナーが、今、悲しみ苦しんでいるから、あなたは悲しみ苦しいのです。
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もう少し、嚙み砕いてお伝えさせていただきます。
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例えばあなたは今、とある小さなアパートに、ひとり暮らしをしているとします。
実家を離れ、自分の好きなように生活できるその空間は、
例え少しばかり狭いと感じても、実家で暮らすことに比べるととても自由で、とても開放的で、居心地の良い暮らしだと感じていました。
けれどある時、それは、勘違いであることに気づかされる出来事が起こりました。
それは、あなたの愛するパートナーが、2匹の愛犬と共に、
大きな一軒家に身を寄せて、ひとり暮らしならぬ、
3人暮らしをしていることを知ったのです。
それは、独身のあなたにとって、想像を超えた、素晴らしい発見でした。
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そろそろ愛するパートナーとの結婚を考えたいな。
とうすうす感じていたあなたは、小さなアパートでひとり暮らしを続けていくよりも、
少々古い民家であっても、4人で共に暮らす方が、
愛する者同士、よっぽど理にかなっているし、何倍も何千倍も、幸せではないか。
と閃いたのでした。
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しかし、そこからが大変でした。
なにせ、あなたはパートやアルバイトをいくつも掛け持ちしながら、
なんとか家計をやりくりしながら生活していたので、
引っ越し費用など到底払えそうもないのです。
あなたは、困ってしまいます。
何とかして、彼のもとへ引っ越し、共に暮らす方法はないものかと、
考えに考え、ある手段を見つけます。
それは、愛するパートナーに、引っ越しを手伝っていただくことです。
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これは素晴らしいアイディアだと感じたあなたは、一連の気づきを、パートナーにシェアしました。
ところが、思わぬハプニングが起こります。
なんと彼は、いつのまにやら、古民家を手放し、2匹の愛犬と共に、実家で暮らしているというのです。
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普段から心優しいあなたであっても、これには、さすがに驚きを隠せませんでした。
「これはどういう理由でしょう。
私は、あなたと共に暮らすことを願い、ここまで準備を整えてきたというのに」
「私は、以前からずっと、あなたと結婚したいと思っているのに。
私をよそ見に、実家に帰るなんて理解できかねます。
あなたは、私のことを愛していないのですね。
よく、わかりました。お別れしましょう。」
と、思ってもいないことを言ってしまったのです。
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さて、これはどうしたものでしょうか。
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相手は私の「鏡」という視点から紐解いていきましょう。
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私がアパートでひとり暮らしをしていたとき、実家暮らしよりもよっぽど幸せと感じていました。
私には、お相手の暮らしが、今の自分よりも幸せに見えていたようです。
でなければ、そこで一緒に暮らしたいなんて、きっと思わないでしょう。
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では、お相手の方はどうでしょうか。
お相手にとって、私はこのように見えていたかもしれません。
独り暮らしをするためには、パートやアルバイトをいくつも掛け持ちして、
寝る間も惜しんで働いて、とっても大変そうだ。
そこまでしてアパートで暮らすなんて理解できかねる。
自分も一人暮らししてるけど、犬たちのお世話をしながら会社を行き来し、その上家事までこなすのは、思った以上に面倒で大変なことばかりだ。
そんなことなら、いっそ、家事をしてくれる人のいる、実家に帰った方が楽かもしれない。
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もう、お分かりの方がいらっしゃるかもしれません。
そうこれは、「鏡」が反射しているのです。
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私にとっては、家事は全く苦ではなく、むしろ「自由で幸せ」と感じています。
ですから、もっと広いお家に暮らしたいと思いましたね。
その上、お相手のことは、今の自分より「幸せそうだ」と感じていました。
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お相手の方はどうでしょうか。
お相手にとっては、家事よりも、会社を行き来することの方が重要で、
そのために、家事をする時間や労力が面倒で大変と感じていました。
ですから、私がいくら楽しく幸せに家事をしていても、
寝る間を惜しんでまで家事するなんてとても大変そうだ。と感じたわけです。
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この、勘違いはいったいどこからきたのでしょうか。
それは、自分の立場だけから物事を見て、判断しているからではないでしょうか。
この、勘違いや食い違いを、正すことができるのでしょうか。
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その答えは意外と単純かもしれません。
つまり、常に、相手は私の「鏡」であると認識し、
相手の立場に立って物事を考え、その上で、自分の行動を判断することです。
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例の2人の場合ですと、このようになります。
私は、自分で家事をするのが楽しくて、「自由を感じ幸せ」です。
だからこそ、ひとり暮らしを始めました。
お仕事なんて本当は二の次でいいのです。
何なら、「家事がお仕事」と言ってもいいくらいです。
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お相手の方はどうかというと、とにかく「いつでも快適に」暮らしたいと思っています。
それは、「会社でのお仕事に集中」できるからです。
お仕事が自分にとって何よりも大切で、家事なんて本当はしたくないのです。
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けれど、会社から帰って快適に過ごすためには、
お掃除しなければなりません。お洗濯しなければなりません。
お掃除しなければ、快適生活どころか、お家の中がごみの山になってしまいます。
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もうおわかりの方が大勢いらしゃることでしょう。
そうです。
役割分担すればいいのです。
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私がいつもお掃除、お洗濯、お料理をしている合間に、
お相手が、会社でお仕事に集中されます。
お相手は、帰ってきたらいつも快適、出来立てのご飯が頂けて、
お部屋は綺麗にピカピカ片付いて、
明日着るお洋服は、嬉しそうに出番を待ってくれています。
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私も、家系をやりくりするためにパートやアルバイトをしなくて済むし、
その上、愛するパートナーの幸せに貢献しながら、
大好きな家事をさせていただけるのです。
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これ以上にぴったりの役割分担があるでしょうか。と、感じられるかもしれません。
そう、これは、昔からよくありがちな、「夫婦の役割分担」です。
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女性の社会進出が進んだ現代では、
こういった昔ながらの役割分担をされていらっしゃらないご夫婦も
もちろん沢山いらっしゃることでしょう。
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大事なことは、時代が変化したからと言って、
自分の「本当の願いや得意分野」まで、変えてしまうことはありません。
私は、昔ながらのありかたが性に合う。という人だって、世の中には沢山いらっしゃります。
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要するに、自分の本質をよく理解した上で、相手の立場になって物事を考え、
双方にとってベストな選択を自ら勝ち取ることが、
双方にとっても最高に幸せな生き方と言えるのではないでしょうか。
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「相手がこうしたから、自分はこうしよう。
相手はこういう人だから、自分はこういう在り方でいよう。」
ではなく、
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「私にとってはこれが最善で最高。あの方にとってはこれが最善で最高。」
と思える形を見つけます。
そして、
「だからこそ2人にとっては、この選択が最善で最高だね。」
と、双方が納得することが大切です。
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なぜなら、あなたが最高に幸せを感じているとき、
「鏡」であるお相手も
最高に幸せを感じることができるからです。
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あなたが誰の影響を受けることなく、自分の本当の幸せを選び取ったからこそ
お相手が「本当に幸せそう」に見える。のです。
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そして、お相手が本当に幸せそうであるからこそ、
あなたは、心底、心が安らぐのではないでしょうか。
つまりそれは、あなたにとっての最高の「癒しの存在」ということです。
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そしてそれは、お相手にとっても同じことが言えます。
お相手にとっても、あなたが最高の「癒しの存在」ということです。
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目の前にいる、愛する人を本当に幸せにしたい。
そう思う気持ちが、誰にもあるでしょう。
それを叶える唯一の方法は、
あなたが、お相手に癒されることです。
そして、お相手もあなたに癒されることです。
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この関係が一点の曇りなく叶った時、2人は、真の愛するパートナーとなるのです。
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最後までお読みくださりありがとうございます。
何か参考になりましたら幸いです。
あなたに沢山の愛と光、たくさんの幸せが訪れますように。
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